伊賀の中世城館群と
天正伊賀の乱激戦の城跡
(福地城跡)

イメージ画像
石垣、土塁、空堀などの遺構が残る。現在は芭蕉公園として整備されている。

福地城跡は、柘植地域の有力国人であった福地氏の居城とされています。福地氏は、『満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)』正長2年(1429)2月16日条に、「伊賀国人ツケ三方ヘキ(日置)・北ムラ(北村)・福チ(福地)也」とあり、室町時代には日置氏・北村氏とともにこの地域の代表的な国人であったことがわかります。
城跡は、東西約270m、南北約170mで、市内でも有数の規模のものです。城跡の構造は、四方に土塁(どるい)を巡らせた郭(くるわ)を中心に、帯郭や堀切を有機的に組み合わせた堅固なつくりとなっています。さらに、丘陵からやや下ったところにある郭は、郭より広い空間を有していることから、生活のための建物があったのかもしれません。
この城の特徴の一つは、郭の出入り口の両側に石垣が見られることで、伊賀の中世城館ではあまり例を見ません。礎石も確認されていることから、城門があったと考えられています。また、郭の北側土塁の内側に石組があり、土塁上に礎石のようなものがみられることから、かつては土塁上に建物があったと考えられます。伊賀地域有数の規模で、石垣なども良好な状態で残っていることから、県の史跡に指定されています。

福地城跡

アクセス

JR関西本線「柘植駅」より徒歩30分

T E L

0595-26-7788(伊賀上野観光協会)

住所

伊賀市柘植町

駐車場

あり

戻る
ページトップへ戻る