敢國あえくに神社

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南宮山の麓に鎮座する敢国神社は、伊賀国の一宮とされ、創建は斉明天皇四年(658)と伝えられます。現在は大彦命おおひこのみこと少彦名命すくなひこなのみこと金山比咩命かなやまひめのみことを祀っています。伊賀地域に広く伝播するの獅子神楽に大きな影響を与えた「敢国神社の獅子舞」は、県指定無形民俗文化財に指定されています。
中世末期の敢国神社の祭礼は、守護などの公権力が仕切っていたのではなく、土豪層(地侍や有力農民)が運営していたようです。伊賀の国は甲賀とともに、複数の土豪が連合(「一味いちみ同心どうしん」)し、話し合い(「談合」)で地域の平和を守っていました。彼らは他の地域から「伊賀衆」と呼ばれており、ここは祭礼を通じて伊賀衆の結集の場となっていたと考えられます。
神社に伝わる「黒党祭くろんどまつり」と呼ばれる祭りは、後に服部半蔵を輩出することになる忍者の頭領であった服部一族の私的な祭りであったとされます。その起源は定かではありませんが、神事に携わる者は服部一族に限られ、黒装束に身を固める慣わしでした。
敢国神社は、天正九年(1581)の天正伊賀の乱で織田信長の焼討ち後、一時荒廃しますが、その再興に努めたのが、修験しゅげん者の小天狗清蔵や藤堂藩初代藩主藤堂高虎です。修験道は忍術に影響を与え、藤堂藩は「忍びの衆」とも呼ばれた伊賀者を召抱えていました。その二人が再興に尽力したことは、伊賀者の氏神であったことと関係しているのかもしれません。
伊賀忍者の頭領、服部一族の祭りが行われる。

敢國神社

アクセス

JR関西本線「佐那具駅」より車で10分

T E L

0595-23-3061

住所

伊賀市一之宮877

駐車場

あり

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