2019年05月21日
構成文化財が追加認定されました。
令和元年度「日本遺産」認定において、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀-リアル忍者を求めて-(平成29年度認定)」のストーリーを構成する文化財について、追加認定を受けました。
◎追加認定された構成文化財
【甲賀市】
・佐治城跡(甲賀市甲賀町小佐治)
・甲賀流忍術屋敷(甲賀市甲南町竜法師)
【伊賀市】
・丸山城跡(伊賀市下神戸・枅川)
・無量寿福寺(伊賀市下神戸)
・比自山城跡(伊賀市長田)
・千賀地城跡(伊賀市予野)
甲賀市追加認定分
【佐治城跡】
市指定史跡。甲賀町小佐治集落の北、野洲川方面を見下ろす丘陵上に位置する。城主は佐治氏(小佐治氏)とされ、織田信長の近江侵攻に伴いその配下となったが、天正13(1585)年に羽柴秀吉の領地没収に対しては篭城して抵抗、堀秀政・中村一氏に攻められ落城したとされる。
【甲賀流忍術屋敷】
甲賀望月氏の本家旧宅で、江戸時代元禄年間の建物と言われる。内部には抜け穴や隠し階段、どんでん返しなどのからくりが施されており、現存する忍者の屋敷として貴重である。かつては製薬や売薬業も営まれていた。
伊賀市追加認定分
【丸山城跡】
木津川とその支流比自岐川の合流点付近の独立丘陵に位置する。天正6年(1578)、織田信雄の家臣滝川三郎兵衛によって築城されたとされる。東西400m、南北400mの範囲に堀切や土塁があり、中央に天守台の跡が残る。
【無量寿福寺】
丸山城跡と木津川を挟んで対岸に位置する真言宗寺院。開基は鎌倉時代と伝えられる。戦国時代には伊賀衆の会合の場となったため、天正伊賀の乱で兵火に遭い、本堂などが焼失したとされる。
【比自山城跡】
伊賀盆地の西端の丘陵上に位置し、天正伊賀の乱で伊賀衆が立て籠もった城跡。比自山観音寺という寺院を城郭に転用したもので、東西250m、南北400mの範囲に郭や土塁、堀切が残る。
【千賀地城跡】
伊賀市の西部に位置する予野に所在する。ここは服部半蔵の出身地であり、この城跡は服部半蔵の一族である千賀地氏が拠ったとされる。東西50m、南北50mの規模で、周囲に土塁が巡る。